2010年1月7日木曜日

S0525_学校教育職入門

~使用教材~

『教職論―教員を志すすべてのひとへ』



~リポート作成の留意点~

時代ごとに教員に求められる役割が変化してきたことを指摘しながら、過去に求められた役割と現代に求められる資質について考察する。

戦前の教職感:
天皇制を維持するために従順な国民の育成が求められた。天皇から与えられた役職である教職の天職性から教師聖職論が支配的となる。
戦後の教職感:
教師も労働者であるとの考えにより、労働組合が結成されるなど、労働者論が広がる。
現代の教職感:
高い教育技術をもつ専門職としての性質が強調される。医師や弁護士のような専門性の高い技術職を目指す。

現代に求められる資質について、中央教育審議会の答申を例に詳しく考察する。
1.「地球的視野に立って行動するための資質能力」
2.「変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力」
3.「教員の職務から必然的に求められる資質能力」

最後になりたい教師像について述べてまとめる。



~S0525_学校教育職入門_リポート作成例(評点:A)~

『教師に求められる資質とは何か』

Ⅰ.教職の基本的性格と社会的使命について
教師に求められる資質を考えるにあたって、まず「教師」と「教員」の違いについて次のように区別する。
教師とは、広義に他人に知識や技術を教える者をいい、その人の人格が肯定的な教育作用を持つことが必要である。これに対し、教員とは、学校において、公的に認定された資格をもって、教育活動に携わる公職者をいい、行政的側面から見た職業人を意味する。したがって、教員という場合には、教育が社会制度として確立されていることを前提とする。また、教師に求められる資質は、同様に教員にも求められるものと考える。
教職の歴史を見ると、日本において、教員養成の本格的な動きは1872年の師範学校設置に始まる。1886年には師範学校出身の教師が登場し、その社会的使命は、天皇制国家の忠良な臣民育成にあった。国家、天皇のための教育という目的から天職性が強調され、教師聖職論が支配的となる。また、教師に求められる資質は、政治的に中立であり、子供に道徳的感化を与えうる人格である。ここで、道徳的感化とは「順良、親愛、威重」、即ち、従順であり友情に厚く、威儀を重視することを意味する。
戦後になると、民主主義、資本主義の発展と共に、労働者の高い自主的成長が重視されるようになる。この流れを受けて、1947年に日本教職員組合が結成され、教員が労働者であるという認識の下に、教職観は、聖職論から労働者論へと転換して行く。
近代的教職観では、教育の技術や科学に対する認識が重視されるようになり、このことから専門職論へと移行している。1966年のILO・ユネスコ共同勧告でも、「教職は、専門職でなければならない」と規定し、教育の科学および技術の向上を、重要な用件として位置づけている。
これらの流れを受けて、現代では次のような資質が求められる。即ち、画一的な教育から脱却した自主的判断力、労働者の権利を保障しつつも高い使命感と職業倫理を持つこと、及び高度な専門知識・技術である。
以下では、これらの資質を3つの観点から考察する。3つの観点とは、「地球的視野に立って行動するための資質能力」、「変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力」、「教員の職務から必然的に求められる資質能力」である。

Ⅱ.現代に求められる資質能力について
1.「地球的視野に立って行動するための資質能力」
自主的判断力の基盤となるのは、社会的判断力である。社会的判断力とは、自身の行動が社会に対してどのような影響を与えうるかを予見し、意識的に有益な結果に導く能力を言い、この目的のためには、社会構造や人間の特性を理解することが必要である。特に人間観については、倫理学で言う利己主義の立場からよく理解できると考える。国際社会における考え方や立場の相違、また多様な価値観を含む個人や国家までを踏まえた関係の理解には、倫理的利己主義の立場が有効である。ただしここで、より高い理性をもってする倫理もあることにも注意したい。道徳原理の理解に基づいて、習得すべき能力としての人間性がそれで、自身に一切の利益がない場合においても他者を尊重する技術が、教員としての資質に加えて、教師として必要とされる能力であり、思いやりの心やボランティア精神など、より豊かな人間性を育むものと考える。
2.「変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力」
課題解決能力について、これは数学的思考訓練によって養われるものである。問題がある場合に、必要な情報を集め、適切に組み合わせることによって解決に導く方法は、数学的論理力によるものであり、社会人に求められる能力の基礎である。
また、課題解決方法の個性に注意すると、複数の人間が共通の課題に取り組む場合には、各個人の特性を上手く協調させることが必要である。この為には、他者を理解し尊重することが必要であるが、そのような資質は、自身の能力に対する自信が前提となる。つまり、劣等感を抱いたままでは、人は謙虚になれず、そのような状態を回避するためにも、継続的な自己教育力が重要となる。
生徒に対する教育に関しても、同様に自己価値感情を高めてやることが重要である(テキスト P.151 「自己価値感情」を高めてやれる教員)。他者に認められることで育つ自己価値感情は、社会性の基礎となり、謙虚に学ぶ姿勢は、変化の時代に対応しうる必要条件である。
3.「教員の職務から必然的に求められる資質能力」
教職に対する誇りや使命感は、教師であるために不可欠であるが、それを実感できることもバーンアウト等の回避の為にも必要であり、それには、特に学校と家庭・地域との連携の強化が重要である(テキスト P.31 教育改革の流れのなかで)。
例えばモンスターペアレントの問題に関して、保護者は理不尽な苦情であることを認識しつつ、抗議している場合が見受けられる。これは、教員に対する期待が大きいにも関わらず、学校に対する要望の方法が分からない葛藤に起因するらしく、そのような問題解決の為には、教員は、学校との連携方法の提案と苦情の要件の把握に努め、信頼関係を築く必要がある。
近代の教育で重視される科学及び技術の向上について、これは課題解決能力にも繋がるものであり、生徒が変化の時代を生きる社会人となったときには、各教科で培われる能力は、複合的に働くことが求められる。しかし、教科を個別に学ぶ段階では、その将来像が見えにくい為、教師には、正確な知識の下でその応用を意識した教科指導の能力が必要であると考える。

Ⅲ.なりたい教師像について
ここまでに考察した教師に求められる資質は、本質的には、すべての人に共通して求められるものである。生徒もまた将来必要とするそれらの資質について、特に継続的な自己教育力の伸長を図ることのできる教師を目指したい。不登校の問題を抱える生徒にとっても、この自己教育力、即ち学ぶ方法を知ることは必須であり、仮に不登校の問題が解消しなかったとしても、将来の自己実現への可能性を開くものと考える。
また教育活動においては、自己価値感情を高めることを重視したい。自己教育とは、自ら行う能動的な成長である。したがって教師は、生徒の興味を刺激したり、自己実現への可能性を感じさせたりするような補助的な役割を担うべきである。
この目的の為に、教科に関する専門的知識とその応用、自らも自己実現の為に努力を続ける姿勢を示せる教師でありたいと考える。


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