2014年10月19日日曜日

S0536_人権(同和)教育

~使用教材~

『同和教育実践―新たな人権教育の創造』



~リポート作成の留意点~

同和、人権教育の実践について、仮説を立てて論述することが望ましいようです。
今回の私のリポートは主観的過ぎたかも知れません…。


~S0536_人権(同和)教育_リポート作成例(評点:B)~

50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括すること。また、人権(同和)教育の意義と学校における人権(同和)教育のあり方を具体的に論述すること。


これまでの同和教育は、差別が是正されるべき対象として紹介され、クラス内あるいは学校間の代表者による議論などを通して差別否定の精神や人権尊重の姿勢の醸成を目標としていた。私自身も部落差別に関する学校間の代表者討論会に参加した経験がある。しかし当時感じたのは、昔話のように語られる部落差別が存在したという歴史に対する現実感のなさと、そもそもなぜ同和教育が必要なのかという疑問であった。部落差別があったことを教えるから、差別的な視点が生まれるのだと当時の私は感じたのである。一方的な伝達教授型の授業だけでなく参加型の体験的な活動としてディスカッションを行ったとしても、高度に人権保障が実現している現代においては、その貴重さを実感することは難しい。差別否定のコンセプトだけが先行し、人の心理の仕組みや歴史的背景の理解なしでは同和教育が必要である意味そのものが学習者に伝わらないということにもなりかねない。したがって、学校における現代の人権(同和)教育のあり方で重要なのは、教授型・体験型といった授業形式ではなく、真に人権の重要性を実感できる授業内容であると考える。
実感できる授業に必要なのは、そもそもなぜ人権教育が必要なのかというプリミティブな疑問に応じることである。そしてその疑問に取り組むためには、部落差別を悲劇的な過去としてではなく、我々の築いてきた歴史的事実として学ばなければならない。すなわち、人権について「差別はいけない」「人権を大切に」といった用意された結論に結ぶだけではなく、人類の特性を歴史に学び、その特性が現在の日常の中にも存在することを確認するとともに、今も常に差別が起こり得ることと、そしてそれを防ぐ理性を持つことの重要性について認識できる授業が必要である。ここではまず、戦後の同和教育について京都市の取り組みを振り返り、その後に今後の人権(同和)教育のあり方を考えたい。

さて、戦後の同和教育は同和地区児童・生徒の長期欠席・不就学解消にむけた取り組みに始まる。京都市においては、同和地区の不就学率が地区外の約10倍にのぼっていた。同和教育とは同和問題解決のための教育活動の総称であり、その意味で部落差別によって奪われていた教育権を取り戻すことは第一義である。長期欠席・不就学の主な理由は経済的なものであった。そのため、1952年に学用品の現物支給を行う「特別就学奨励費」が制度化される。これによって、約10年後には地区内外の就学率の差はほぼなくなるまでになった。しかし、不就学の問題が改善される一方で就学生の中でも同和地区内外で学力格差のあることが露呈し始める。高校進学率を見ると、京都市全体では中学校卒業生の3/4が高校へ進学するのに対し、同和地区生徒では1/3であった。このような状況の克服を目指して、1963年には学力向上を目標とする「進学促進ホール」が制度化される。ここでの学力とは、自ら学ぶ力と学んだ結果としての知識・理解を保持し活用する力を統合したものであると示されており、現在の学習指導要領にも掲げられている「生きる力」を既に盛り込んだものになっている。同和問題の解決には自ら問題を見つけ主体的に行動することが重要であり、そのためにも現在で言う「生きる力」のコンセプトが必要とされたのである。また、進学促進ホールとは別に中学校卒業者を対象として就職・進学支度金給付制度による経済的な支援も開始される。さらに、当時の同和地区には家庭内に学習環境がない場合も多かったため、1971年に学習環境の整備の施策として学習するための公共施設である「学習センター」が同和地区内に開設される。学習センターでは、補修学級や進学促進ホール、高校生学習会、識字学級等が開催され、これらの取り組みにより高校進学率は同和地区内外でほぼ同率となるに至った。
京都市における戦後の同和教育は、不就学の問題や学力強化において大きな成果を上げている。その理由として、児童・生徒が部落差別問題を自らの課題として捉え主体的に取り組んだことが挙げられる。そして今後重要となるのは、格差を是正するための主体的取り組みから得られた成果を普遍化すること、すなわち差別是正の努力を次の世代にも伝え、常に起こりうる差別意識と自らその危険性に気づき律する方法を共有することである。主体的とは、まず差別についてその歴史を知り、なぜ今もそれが起こりうるのかを考えることである。
そもそも現代の部落差別につながる穢多、非人のような身分は江戸時代に生まれている。身分制度そのものはさらに古くから存在し、非人という身分も元々は大和朝廷に属さない人々を称したものであった。平城京・平安京の時代には都で生活に困窮する乞食やハンセン病などの病者・障害者を非人と呼び、社会的あるいは宗教的な偏見も差別意識をもたらす原因になっている。現代でも社会的弱者やハンディキャップを持つ人への意識が偏見につながる危険性は十分に考えられる。都市圏では障害やそのサポートに関する理解は比較的進んでいるところもあるが、地方では障害者に対して「たいへんだね」と声をかける人も多く、同じ目線で生活するという意識が浸透しているわけではないようである。マイノリティへの知識不足、知らないということは偏見を生む原因になりかねず、正しい理解を与えることが教育の重要な課題である。
また、個々人の特性に関するものだけでなく、社会的役割においても偏見の目は存在しうる。平安前期において、鴨川の死体焼却処理に動員された罪人や何らかの社会的役割を必要とされた乞食についても非人と呼ばれ、穢れたものとして差別を受けている。死体処理や清掃のような仕事、あるいは穢多と呼ばれる死牛馬の皮剥ぎなどを生業とする者の孤立したコミュニティなど、歴史的事実にも見られるように職種や所属に対して偏見の目が向けられる危険性は現在も考えられる。私も病院清掃のパートを1年ほどしていたことがあるが、そのチームに所属する人の学歴や立場なども起因して、そのような仕事を卑下にみる態度は現在も存在ると感じた。清掃チームのメンバーはみな紳士的であり仕事に対しても実直で人あたりもよいのであるが、それでもクライアントから軽視される態度はあった。もちろん、誰もがそのような態度を見せるわけではなく、病院全体を支えるパートナーとして尊重してくれる人も多いのであるが、一部の人の態度から人の心の中に人を選別する目があることを感じずにはいられない。しかし、そのような心の仕組みは誰もが皆持っているものであり、学校教育の場ではそのことを認めつつも自身の経験や生徒自身の振り返りを通して自制の態度と他者を思いやることの重要性、そして人権教育の必要性を確認することが必要である。

学校における同和教育の必要性は、同和問題につながる歴史が人の心の仕組みや社会的な要求によって形成されてきたことに求められる。そして人が差別意識を形作る流れの根底にあるのは、社会的役割に対する偏見意識と自身はその偏見を受けたくないという自己防衛意識であると考える。
これらの課題に取り組むために、学校では生徒が触れたことのあるテーマを取り上げ、それについて自分の心の中に差別意識がなかったどうかを吟味させることが必要だと考える。その際、生徒自身が吟味すればよいのであって、無理に発表や発問をする必要はない。自分の心と向き合えばよいのであって、そのようなものは総じて他者には見せたくないものだからである。テーマは、原発汚染地域近隣の農作物を食べたいと思うか、被差別地域と知っていてもそこに住もうと思うかなど、身近であり歴史からも反省できるものを取り上げたい。


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