2014年8月16日土曜日

S8102_教育心理学1

~使用教材~

『改訂 教育心理学』



~リポート作成の際に注意した点~





~S8102_教育心理学1_リポート作成例(評点:A)~

児童期、青年期において社会的認知(社会性の発達、対人関係(親・仲間))の拡がり、自己意識などがどのように変化するかをまとめよ。


児童期における社会的認知の変化の要因として、学校生活の開始が挙げられる。幼児期までの対話の相手は親を中心とする親しい関係にある人物が主であるが、学校集団では多くの同級生や教師など、幅広い対人関係に対応しなければならない。会話の方法についても、親しい間柄ゆえに通じる直接的な対話、いわゆる文脈を察してもらえる1次的ことばが通じる環境から、自ら相手の予備知識や文脈に考慮しながら話さなければならない2次的ことばを必要とする環境へ変化する。
2次的ことばは、広がった人間関係において物事を説明するために必要となる。すなわち、説明の対象とする状況を客観的に捉え、相手に配慮した文脈を作り出すこと、不特定多数へ話すことを想定した一般的なことばを使うこと、また相手に応じて話の道筋を自分で組み立てることが要求される。

このような2次的ことばの使い方は、実際に相手の立場に立ち、聞き手として相手の文脈を読み取る経験によって培われるため、ことばの習得は集団のなかで自身を客観的に捉えるような自己意識の変革にも大きく影響を与えるものと考えられる。このような試行錯誤によって、仲間との心理的結びつきを強め、対人交渉能力や社会規範を身につけていく。
知識や情報を伝えようとする場合には一般的なことばを使う必要があるが、これは物事の本質的な意味を抽象化し形式による定義を行わなければならない。例えば、傘は何かと訊かれた時には、幼児期には「これ!」と言って持ってきていたのに対して、児童期には「雨が降った時に使うもの」というように、そのものの形式的に捉えるようになる。この技能の習得によって、学校のような集団の中でもことばを共通の定義の下で使いコミュニケーションをとることが出来るようになり、社会性の拡がりや対人関係の拡大を可能にしているものと考える。
物事を客観的、抽象的に捉える習慣は、ことばの再定義のみならず、様々な事柄の因果性の認識にも資するものである。自然の法則や社会の仕組み、数学的な概念の把握など、学校の授業においても因果性の発見や探求に取り組むような学習が進められる。このような方法を通じて、今まで物事をなすことで学ぶ直接的な学習が、自己を離れて客観的、間接的に学ぶより効率的な方法へとシフトすることになる。

しかし、このような学習への移行段階では、数学的な概念の定義など、高度に抽象化された内容の把握は難しく感じる児童も少なくない。移行の初期には、その指導において視覚的なイメージを伴う抽象化を意図するなどの工夫が必要になると考える。すなわち、日常で関わるような例えから始まって、段階を踏むことにより高度な抽象表現へと移行する必要がある。
物事の客観的な把握は、児童自身の学び方の見直しにも気づきを与える。周囲との進捗や学習方法の比較などを互いのコミュニケーションを通じて見直し、点検・吟味することで予測や目標との学習状況にずれがある場合には修正し、結果を見直すことで次への反省とするようになる。このように、自らの状況を第三者的に把握し制御する心的機能を、メタ認知という。メタ認知は先天的な機能ではなく、経験に従って獲得される。小学校高学年では、自分が学習にどの程度の時間を要するか、覚えられる量はどれくらいかを見積もることが出来るようになる。適切な自己評価のためには、教員による指導において、それが過小評価とならないよう支援する必要があると考える。自身の客観的な把握は他者との比較によるところも大きい。しかし、それによって自己評価が委縮しないよう適切な条件付けと強化が実施されなければならない。学習への促しについても、学習過程を振り返った際にその成長を実感できるように計画し、児童がその方法を取り入れ、内面化させられるようにすることが重要である。

上述したような客観的な視点と抽象化・形式化による把握を身につけることにより、児童期には自身を心理的な特徴で捉えることが出来るようになる。自己評価と他者から受ける評価とを比較しながら多くの人の中での自分の役柄、社会的な位置を理解していく。ここで重要なのは、心理的な特徴のような自己意識への評価が決して相対評価にならないようにすることである。学業成績や運動能力は相対評価を行う意味はあると考えるが、人格や姿勢に関する評価は絶対評価で考え、児童が自己の人格と物事に取り組む姿勢を価値のあるもの、好ましいものととらえることが出来るよう支援することが重要であると考える。
青年期になると、対人関係の変化はより顕著となり、親への依存心を残しつつも自立への動機は大きくなり、それに伴って共感を求める相手も仲間へと移っていく。社会的価値観に関しても、この時期には自身の考えに自信が持てずにいる反面、それゆえに周囲から謙虚に学び、成長することが出来る。友人関係の中で、一般的な人間関係の構築を学び、また友人からの評価や自己を映す鏡として内省し、より拡充した対人関係を築いていく。その他にも友人関係は、身体的・精神的変化の著しい青年期において、不安定な情緒をコントロールする上で重要な役割を果たしている。
交友関係の拡充は、異性関係にも見受けられる。児童期には同性同士の結束が固かったのに対し、思春期には身体的な変化に伴って異性に対し不安や羞恥心を感じ、一時的な嫌悪感を抱く場合がある。しかしその後、しだいに愛情は身近な異性に向けられ、やがて好みが限定されて特定の人に惹かれるようになる。このようにして互いに長所・短所を認め合いながらも精神的な一体感を得られる親密な関係を築けるように発展していく。

思春期には、自己を客観的に見る観点はさらに分化し、行動や意識の主体としての自分、すなわち主我と、それを第三者的に見つめる自分、客我が明確に分離する。そして自己の考える自分と、親や教師、仲間が考えているであろう自分を比較し、自己像を再構築することで自分らしさとは何かを追及していく。ここで重要なのは、再構築した自己像が自分の本質を肯定的に捉えられることである。このありのままの自分を肯定的に考える意識を、自我同一性と呼ぶ。自我同一性を確立することは自分らしさを追求する目的であり目標である。

では、青年の自我同一性を確立するために、周囲が支援できることは何だろうか。自己を客観的に評価できるようになった青年にとって、親や教師、またそれらを越えて社会全体が求める期待も無視できなくなる。周囲からの期待を含んだ社会的理想全体を、自身の現状と比較して目指すべき姿を模索する。求める理想自己と自身の現実自己が遊離しすぎているとそのずれに苦しみ、個人と社会とを対立させてしまう可能性がある。重要なのは、周囲が自分たちのための理想像をその青年に押し付けないことであると考える。青年の努力と試行錯誤はその青年のためにある。周囲の期待ももっともであるが、青年の探求と成長を肯定的に捉え、他者と比較することなく絶対的に評価し、青年の中に自己肯定感と自尊感情が醸成されるよう配慮したい。

自己肯定感と自尊感情を持つ青年は、社会の中でも主体的・能動的であり、ゆとり教育のコンセプトである主体的に考え行動できる人材としてその教育の成果が表れているように感じる。チーム内での役割や自身の特性をよく把握し、周囲に配慮しながらも全体を見据えて行動できている姿も見受けられる。青年本人はもとより、支援する立場としても自我同一性の重要性を十分に配慮したい。


目次へ >>>

0 件のコメント:

コメントを投稿